English is big present for us

ウクライナ、イヴァノ・フランキフスク、7月31日。
久々に日本語で文章を書いてみる。

4年ぶりのウクライナ滞在。4年前と変わらず、この国では英語を話せる人が少ない。
特に、私の滞在している街は、ガイドブックに載るような観光地ではないので、レストランやマーケットでも英語が通じることは稀だ。
香港人の友達が、「去年、僕がトウキョウに行ったときは英語を話せる人を見つけるのに本当に苦労した」と、あれは地獄だったとでも言いたげに嘆いていたけれど、
彼はちょっとアンラッキーすぎたのだと思う。日本人の学生は片言であれ、英語をしゃべれる。
ウクライナでは学生でも英語が通じない(通じても話せない)人口が日本より多いように思う。
「君に会ったことは僕にとって英語を勉強するいい機会だ」なんて言われた日には、私だってネイティブスピーカーではないんですよ、と言いたくなった。
中学生英語をなんとかしゃべる日本人でも、そんなことを言われるくらい、とにかく英語が稀な国なのだ。

20歳のウクライナ人の友人が結婚するというので、今回、ウクライナに寄ったのだが、そのウェディングパーティーは私にとって言語の重要性を改めて実感させる経験となった。190人のウクライナ人が出席したわけだが、当然の如く外国人は私一人。文字通り、どこか他の星へ放り込まれたような気分だった。
2名の学生が通訳として、私の傍に座ってくれたものの、彼女たちの英語も決して流暢ではなく、加えて、12時間に及ぶパーティーで交わされる会話をすべて訳することは不可能なわけで、内容理解できない分、私はストレスを感じざるを得なかった。
酔っぱらったおじさんが、ダンスパートナーとしてに私を招待したとき、英語で丁重ににお断りしたわけだが、年配の、しかも酔っぱらいに、そんなものが通用するはずもなく、無理やりダンスホールに引っ張りこまれたときには、12時間の他惑星滞在の締めくくりとして、怒りとともに何とも言い難い脱力感を味わった。

前回の滞在時にに知り合った21歳の男の子は、この4年間でかなり英語が話せるようになっていた。
4年間でやりとりしたEメールでも、その上達ぶりは明らかだったが、会話においても同じくレベルアップしていた。
「学校で英語を勉強しはじめたとき、数年後にある日本人と知り合うから英語を話せるようになっておいた方がいいなんて、当時は誰も教えてくれなかったもの。もし誰か教えてくれていたら、もっと一生懸命英語を勉強していたのに」
たしかに、私も中学に通っていたころは未来に起こることのために、今勉強が必要だなんて考えもしなかった。

居候している家の主人は50歳のウクライナ人で、夫はベルギー人である。
彼女の日課はベルギーにいる夫とスカイプで会話することだ。もちろん彼らの共通言語は英語だったけれど、決してお互いが流暢に話せるわけではない。
「English is big present for us」
彼女は英語は我々にとって大きなプレゼントだと言った。
なかなか素敵な表現だと思う。もし英語がなかったら、彼らも、私たちも意思疎通できなかったのだから。

第二次世界大戦でアメリカが世界の主導権を獲得し、英語が世界共通言語となった。もしあの戦争で、日本が勝利していたら、日本語が共通言語になっていたのだろうか。だとしたら、英語より複雑である分、世界共通言語として機能させるのに、多くのノン・ネイティブにとってかなりの時間を要することになっただろう。
その点では、英語は人類にとって本当に大きな贈り物だと思う。

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