首都、キエフについて。
イヴァノ・フランキフスクから夜行列車で12時間。11月の末に、キエフへと向かった。メトロの駅へ向かう途中で、スリ集団の洗礼を受けるなど、あまり良いスタートを切ることはできなかったが、3日間を利用して、わりと多くの場所を回れたので、書いてみることにする。
まず、キエフについて驚いたのは、物価の高さ。駅近くのカフェでは、モーニングセットが17grn(400円ほど)と、もう東京の物価と大して変わらない。一日、10grn未満のFranikでの生活とは大違いだ。
また、宿泊施設を確保していなかったため、ガイドブックで調べたホテルに電話をするも、ホテルの人間が英語をまったくしゃべれない。埒があかないということで、直接ホテルへ向かうことになる。ホテルへついてからも、相手の顔が見えて、紙とペンが使えるという点ではマシだったものの、誰一人として英語がしゃべれず、チェックインにも時間がかかる。
それでもなんとか、チェックインをすませ、メトロでコントラクトヴァ・プローシチャという駅へ向かう。ところで、キエフのメトロは東京のメトロとほとんどスピードが変わらない。朝のラッシュ時は毎45秒おきに、電車が来るらしい。切符というものはなく、プラスチックで出来た青いコインを改札に入れる。距離によって代金が変わるということは無く、たしか日本円にして20円ほどだったと思う。
さて、コントラクトヴァ・プローシチャだが、ここにはチェルノブイリ博物館がある。例に寄って道に迷い、人に尋ねまくるが、「知らない」と答えるものが大半。地元では、あまり有名な場所ではなかったようだ。
博物館はお世辞にも良いものとはいえなかった。展示物の解説はロシア語のみで、展示されているものも、亡くなった人の顔写真や、当時の記録文書ばかりで、実際の事故当時の様子を伝えるような工夫がなされていない。「本当に伝える気があるのか、この博物館は?」というのが正直な感想。
それでも、訪問ノートには、多くの日本人の名前が残されていた。
その後、メトロで一駅移動。
ケーブルカーに乗って、ドニエプル川を眺めつつ、山を登り、聖ミハイル教会へ。真向かいはソフィア教会があり、教会前の広場には、1933年の大飢餓で亡くなった人々を弔うための、キャンドルが無数に置かれていた。広島の灯篭流しを思い起こさせる光景だった。
ソフィア教会の塔からは、キエフの町が一望できる。ただし、この塔の階段のぼりはさすがにきつかった。
教会近くのアンドレイ坂には、たくさんのみやげ物やがある。街中は高いので、買い物はそこで済ませ、ペトリーフカのマーケットへ。そこには、紅茶から書籍、CDに至るまで、多くのモノが売られていて、
Yen Simはマレーシアのマーケットと良く似ていると話していた。
一日目はこれで終了。