言語とロシア

1991年、ソ連解体によってウクライナは独立。
現在の使用言語は、ウクライナ語とロシア語。

私の滞在していたIvano-Frankivskはウクライナ西部にある、小さな町だ。この町の人たちのほとんどは、ロシアに対して良い感情を持っていない。「私たちはウクライナ人だもの。私たちの国の言葉を話すべきだ」「ロシアなんて嫌いだ、あの国はアホだよ」訪れた学校の生徒たちは、言っていた。現在、言語の使用状況としては、東部及び、南部(オデッサ)、首都のキエフではロシア語が公用語とされているそうだ。

キエフへ行く前、友達の女の子がこんなこと話をしてくれた。

「キエフはきれいなところだけど、キエフのお店で買い物をする時にウクライナ語をしゃべったら、ウクライナ語なんてわからないね、って店の人にいわれた。もちろん彼らはウクライナ語を知っているのよ。私には、彼らの考えていることが理解できない」

***

言語教育に関しては、英語、ドイツ語を学んでいる学生が多い。場合によっては、英語が話せずとも、ドイツ語を流暢に話す人もいた。ドレーナという小さな町の学校では、オックスフォードの英語教材と、アメリカのビジネス英語を高校生が学んでいた。英語教育はだいたい6歳から。けれど、訪れたある大学の学生たちは、リスニングはできても、話すことがまったくできなかったり、離せなくても、紙に書く文章には問題がなかったりと、日本の学生とダブる面もみられた。
何度か映画をみる機会があったのだけれど、字幕はなく、すべてロシア語により吹き替え。寮の学生たちと「戦場のピアニスト」を観たときは、初めから終わりまで、一人の声優によるロシア語吹き替えだった。これには、正直驚いた。アメリカ映画に限らず、ドイツ映画もロシア語吹き替え。一度だけ、字幕をみたけど、それは日本の映画「忍」だけだった。(日本映画祭をやっていて、北野映画も放映されていた)

西部の古都、リヴィウに行き、帰りの切符を買うために、英語を多少なりとも解す人を探したけど、こちらが英語を話すと、頑なに、自分は英語を話せない、と断られた。あのときばかりは、どうしようもなくて、携帯電話でアイセックのメンバーに連絡をとり、切符売り場の狭い窓から電話を受付の人に渡して、通訳をしてもらった…。

Ivano-Frankivskにいたせいか、今ではすっかり親ウクライナ語派。ウクライナ語の音は音楽を聴いているようにきれいだ。ただ、文法はすさまじくムズカシイ。「日本語とウクライナ語はきっと文法の複雑さからすれば、同等だと思う」と、言語学部の学生が言っていた。2ヶ月で、覚えた言葉といえば、挨拶、数字、簡単な日常会話のセンテンスと、名詞、あとはStupid words…これは高校生の男の子が教えてくれた。これは今後、日本で使っていこうかな。

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