今年6月に子供を産んだ。
前回の投稿時には自分にこんな日常がやってくるなんて予想だにしていなかった。同年代が次々と結婚し、子供を持ち、保育園だの離乳食だのイヤイヤ期だのと、のたうち回っているのをなんとなく「私には縁の無い世界」と思って聞き流し、仕事に没頭し、旅行や弓道を楽しむ生活を送っていた。
でも人生っていきなり変わる。
結婚生活、育児という異世界にやってきた。
自分以外の誰かの人生が、ダイレクトに自分の一日一日を、生活を、内面を変えていく。
日本からインドに移住した時とは全く別の衝撃だ。
子供が生まれてまず思い出したのは、まだ10代の頃に読んだ当時大好きだったさくらももこの漫画だ。作中に、コジコジと筆者のこんなやり取りがある。
「お母さんになるってどんな感じ?子供の為に人生ささげるって感じ?」
「冗談じゃないよ、私の人生は私のものだよ。この子の人生とは別モノだからね。でも仲良くしていきたいね」

10代の頃の私はこの会話をみて、意外だなと思った。子供を持つって人生を捧げるくらいのものなのかと思っていたからだ。
そして今、改めてこれほど自分にとってピッタリくる母と子の関係を表現した言葉は無いなぁと思う。
同じく漫画家の松本ひで吉さんの育児漫画にも共感する部分がたくさんある。中でも、
「『仕事も外出もできず、話すことといえば保育園やおっぱいのことばかり。なんだか自分が話題の引き出しのない人間になっていっているのでは…』という不安がぬぐえません。これがアイデンティティのクライシスか。」という言葉に激しく頷いた。
さくらももこさんも松本ひで吉さんも、漫画家という大きなアイデンティティの要をもって生きてきた。そこに子供が生まれたことで、彼女たちが感じた変化は計り知れない。喜びの中にも、思うように筆を取れないことで自己が欠けてしまったように感じる時間もあったのではないだろうか。私なぞ、ただのサラリーマンでそう思うのだから、彼女たちの感じたクライシスって相当なものだろうなと想像する。
単調にみえる育休中の生活、いままで食らったことのない大きな力で自分が動かされていると感じる。自分の慣れ親しんだ世界とは真逆のこの異世界にやってきたことで、何をして生きたいのかを改めて考えさせられ、自分のネガティブな面からも目を背けることができなくなり、育児を終えたらきっと、そこにいる私は今ここにいる自分とはちょっと違った人間になっている気がする。
自分の人生を考えるのと同時に、隣にいる子の人生はどうなるだろうと想像する。2100年をも見ることになるであろう新世代。世界がきな臭くなっていく中、どうか無事で彼女の生きたい人生を生きられる人になって欲しいと切に願う。