昔の本

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有名だけど手にしたことのないという本は世の中にたくさんあって、そうはわかっていても本屋でベストセラーとして高々と積まれている本に手を伸ばしていた時期が比較的長くあった。でもそういう本は読んだ後、ほとんど何も記憶に残らない。瞬間的に「面白かった」と思って終わってしまう。

20代の時に読んだトルストイの『人生論』や、昨年初めて読んだ川端康成の『雪国』なんかは、哲学であれ、小説であれ何かしらガツンと来る、それでいて記憶に残る文章というのがある。その味になれてしまうと、もう現代小説や、いわゆる流行りの本を読めなくなる。

最近はKindleのハイライトの機能を使って、気に入った文章をメモして時々見返している。中でも今年に入って読んで素晴らしいなと思ったのはアランの『幸福論』だ。なんだかタイトルだけみると、「スピリチュアル系?うーん」と思ってしまうのだけれど、それがぜんぜん。なかなか合理的で、それでいて力強い、美しい文がある。いくつか、下記にあげてみる。

”彼らは新しい行動を、新しい知覚を求めているのだ。彼らが生きたいと思っているのは世界のなかであって、自分自身のなかではないのだ”

”人は、棚からぼたのように落ちてきた幸福はあまり好まない。自分でつくった幸福が欲しいのだ”

”自分のことなど考えるな、遠くをみるがいい。”

1920とか1930年あたりに書かれた文章だとはとても思えないくらい、現代人にも言える言葉だと思う。現代人は何かと自分の感情や、心の中にフォーカスを当てすぎていて、どんどん暗くなっているように感じる。でもそんなに自分の内部を見つめたところで見つかるものってそんなに多くはないと思うのだ。それよりも、とりあえず行動して知ったことや、出会った人や、新しい知識と自己を接触させることで、自己を認識したり、自然と湧き上がってくる感情があったりするのが正常なのだと思う。大事なものは、わざわざ自分の奥底まで下りて行って掘り起こしてくるようなものでもないのだ。


何十年も何百年も残り続けている本には、生き残るだけの意味がある。
昔の作家って偉大だ。

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