共感は必要か?

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先日、金原ひとみさんの『日本人に必要なのは共感のスイッチを切る能力』という記事を偶然見つけて読んでみた。

まさに私がここ数年思っていたことをきれいにまとめてくれている記事で、共感を強要しない記事に共感が大爆発してしまった。

日本が窮屈だと感じる原因のひとつが、自分と違う考え方を「放っておけない」人が多いということなのではないかと思っている。

社会は個々の考え方が統一されていなくても機能するし、共感がなくても会話は成立するということを私はインドで身をもって学んだ。

むしろバラバラの考え方を持った人が個々の意見を発信するほうが、全体としてのバランスはヘルシーに保たれる。ムスリムもヒンドゥもクリスチャンもみんな個々の視点で声を発する。だからこそ、ひとつの考え方に偏らない社会が維持できる。

日常会話でも共感はそれほど重視されていなかったように思う。面白いことは共有するけど、「あーそれわかるよ」というコメントを求めているわけではなく、「そういえば、おれはこんな面白いことがあってさー」と、自分が面白いと思ったことをただ話したいから話しているだけという感じだ。だから私は共感というステップがすっぽり抜けている会話に慣れず、最初はすごく違和感を感じていたのだが。

「他の人と考えが違うとまずい」という空気は、とても重い。

家族やパートナー間では同意や共感が必要なケースも多々あるけれど、それ以外の人間関係においてそこまで共感って大事だろうか?と、ツイッターの炎上案件なんかをみていると思ってしまう。

「違うこと」があたりまえである社会の、空気のなんと軽いことか。

もちろん、統一されていない社会では常識が異なるがゆえに面倒なことも山ほどあったが、発言における自由度はずっとずっと高かった。

金原さんがいうように、日本人には違うものを「放っておく」訓練が必要なのではないだろうか。

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