「What if」を考える日本人。考えないインド人。

ムンバイに住みはじめた当初から長い付き合いがあり、ビジネス・パートナーでもあるインド人が、日本人の奥さんと、1歳ちょっとになる息子を連れて日本へやって来た。

今回は旅行ではなく、本格的な日本移住を想定しての来日だ。

日本移住は長いこと彼の夢ではあったものの、昨年末に、彼の奥さんからそれを実行に移すことになったと聞いた時は、彼女も私もいろいろな意味で、何とも複雑な気分だった。

奥さんからしてみれば、インドにいるほうが子どもを育て易いという点と、(子どもはインドでは宝物扱いされ、メイドも雇えるし、親族からのサポートも受け易い)、移住したところできちんと暮らせるだけの給与が得られるのかどうかという不安があったようだ。

私からしてみれば、今まで現地でのコーディネーターとして仕事をしてくれていた人間が日本へやって来るとなると、これまでのビジネス・スタイルを変えなければならなくなる。

それにインドに住んでいる頃に出会った学生たちやビジネスマンを見ていると、彼らの息子もインドで教育を受けた方が、きっと将来的に世界に通用する大人に成長できるのではないか、という気がしていたからだ。(自分の子どもでもないのに)

ともあれ、来日の翌日、私たちは浅草のローカル居酒屋で再会を祝った。

子どもが泣き始め、奥さんが外へ息子をあやしに行った間に彼と話したことは、私たちがいつもムンバイで話していたようなことと変わらず、ビジネスの話が中心だった。

「今回の移住計画については、奥さんと何度もケンカをした。だって、彼女は何かにつけて What if (もしものこと)を考えるんだ。もし、仕事が見つからなかったらどうするのか、資金が尽きたらどうするのか、とか言って。」

もともと持家に住んでいた彼らは家賃を払う必要も無く、ムンバイの物価は東京と比べるともちろん安い。生活費に大きな差が出る事を心配するのはあたりまえのことだと思った。

「失敗したら、ムンバイへ帰ればいい。だってあっちへ戻れば家はあるし、仕事にだってすぐに復帰できる。東京で最悪のケースに陥ったところで、俺には何がリスクなのかまったくわからない」

言われてみれば確かにそうだ。では、息子が日本で教育を受ける事については?

「あいつの父親は俺で、俺とあいつの会話は英語だから、英語力は自然と身に付く。日本人は受け身で、こっちで教育を受けたら世界に出てやっていけないなんて思うかもしれないが、俺は自分がアグレッシブすぎることをよく知っているから、この父親に育てられるなら日本で育ってちょうどいいくらいだろう。でも母親も保守的だから、むしろアグレッシブに育てるくらいがちょうどいいかな」

それを聞いて、まず彼の奥さんは日本人の中ではかなりアグレッシブな方であり、そもそもインドに何年も住んでいる日本人女性に保守的な人間などいないと説明したが、彼は「そうなの?」と、まるで信じていないようだった。

「日本人は将来を気にし過ぎなんだよ。日本人の友達と話していると、みんな刑務所の中で生活しているのかって思うくらい保守的だ。日本で俺みたいなインド的思考を学ぶ研修とかやったら儲かると思わないか?」

こんな感じで、久々に目にするスーパー濃い顔と、スーパー楽天的な発言になつかしさを覚えながら、翌日5つの面接があるという奥さんの予定に合わせ、2時間ちょっとでその場はお開きとなった。

もう5年も付き合いのあるこの一家が、この先東京でどんな生活をすることになるのか、個人的にとても楽しみにしつつ、40歳半ばを過ぎても新天地で一山あててやろうとする彼のフットワークの軽さに、やっぱり日本人はWhat ifを考えすぎるのかもしれない、と思いながら帰路についたのだった。

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