ドラマチックな物語。

大学時代の友人と会った。彼女とは年齢は同じだけれど、学年が一個違っていて、学部も違っていて、大学にいた頃も、いつもいっしょにいたとかそういう関係では全くないけれど、数年単位で卒業後もゴハンを食べに行ったりしている。なぜなら、話が面白いから。

会っている間、話をしているのはだいたい彼女の方で、私は彼女の話を聞いていると、いつもドラマを見ているような気分になる。彼女はストーリー・テラーなんである。

今回も、彼女は日常生活での出来事を一本のドラマのように私に話して聞かせてくれた。その内容はなかなかドラマチック。そこらへんの女性たちがよく話しているであろうラブストーリーなんだけど、彼女が話してくれたラブストーリーは「ドラマチック」に聞こえた。

彼女の恋人との別れのいきさつを聞いた後、「ああ、これで一本の物語が終わったな、うん。面白かった」と思って生春巻きに手を伸ばしたら、彼女は「まだ続きがあるのよっ!」と、目を輝かせて言った。そこまでの話は前置き。そこから先の話が、ドラマだった。

簡単に言うと、「5年付き合った彼が新しい仕事を見つけて、彼女と別れて鹿児島に行き、その新天地で数年前に知り合っていた女性と偶然再会し、半年もしないでササッと結婚した」という話。こうやってパッと書くと、まぁ、面白くないですね…。でも恋愛小説とかドラマの筋書きも、こんな感じのものって多くないですか、実際のところ。ともかく、彼女の口から彼に起こった出来事が順々に語られていく間、私はまるでドラマが全く読めなかった展開へ転がって行くような気分を味わっていた。

他人の口から語られる誰かの身に起きた出来事は、時にドラマチックに聞こえる。本人はそうは感じていないかもしれないけれど、誰かの視点で人生が語られるとき、それは個人の経験から、人の目を通して一つの物語になる。そして、その物語を受け取った第三者は自分の知らないある人の人生を「ドラマチックだな」と感じたりする。

なんだか不思議。そう考えると、テレビドラマとかも主人公の視点からしてみれば、実は私たちが日常的に感じていることと、さほど変わりない経験をしているのかもしれない。でも、それが本人ではない誰かの視点で、そこにいなかった誰かに向けて語られたとき、それはひとつのドラマに変身してしまう。平凡な人生なんてこの世には存在しないのかもしれない。

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