インド人のガネーシャ祭りに対する考え方の違い

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深夜の商店街で踊りまくるインド人たち

9月28日にマハラーシュトラ州で最も盛り上がるお祭りのひとつ、「Ganpati」こと、「ガネーシャ祭り」が終わった。今年は9月17日からの11日間。その間の何日かは人々が大通りに出てお祭り騒ぎをする。最高潮は最終日で、海岸へ向かうあらゆる大通りが巨大なガネーシャ像と人々で埋め尽くされ、トラックが一晩中大音響でボリウッド音楽を流す。

私はムンバイで暮らし始めた最初のガネーシャ祭りの時、大通り沿いのアパートに住んでいたため、それこそ全く眠れず、少しでも静かな場所にマットレスを移動させて耳栓をして毛布を被って何とか眠ろうとしたが無駄な抵抗に終わり、完全なる寝不足で、翌朝はいつも通り7:30に出社した。インド人社員たちは寝ていない事など全く問題にせず、どれだけ盛り上がったかを楽しそうに話し合っていた。ガネーシャ祭り中は昼間もたまにおちゃらけた音楽が道ばたでガンガン流れるので、日本にいるお客さんからの電話対応中は「一体何の騒ぎですか?」と聞かれたりしてドギマギしたものだ。

ガネーシャ祭りは、たしかに一見の価値はあるとても「インドらしい」お祭りで、何よりインド人は老いも若きもハッピーに踊りまくり盛り上がるので、いっしょにノってしまえればいいのだけれど、インド人全員がお祭りを楽しんでいるかというと最近は全然そうではないようだ。

「みんな、お願いだから目を覚まして。大音響のクラブ音楽、色粉で汚染された水、ひどい交通渋滞、本当にお金の無駄!これが本当にあなたたちのしたかったこと?来年も同じことがおこらないように、あなたが一人でも多くの人を説得できることを心から願っています。」

これはガネーシャ祭りの最終日にムンバイの友人がフェイスブックに載せていたコメントだ。環境問題やモラルに関心の高いミドルアッパークラスのインド人は、インドで度々行われるハデなお祭りのやり方に疑問を持っている。春に行われるホーリーでは色粉を混ぜた水を人々がかけ合うが、ただでさえ水不足が深刻化している乾季に貴重な水を遊びに使うことなど以ての外だ、と主張する20代の若者もいた。

ヒンドゥ教徒の新年「ディワリ」は光のお祭りで、これまた一晩中いたるところで花火や爆竹を鳴らしまくるのだが、最近はこれを禁止するエリアも出て来たようで、年々、規模が小さくなって来ているように感じた。お祝いをすること自体に反対しているわけではないが、「あんなに騒いでバカなことをするのはモラルの無い人間だ」という考え方をする人も少なくない。(率直に言ってしまえばスラムの人々はそれはもう大騒ぎしてお祭りを祝う)

こういう状況になるのも、インドの外の世界を知るインド人と、ずっと前の世代から教育を受けずに暮らして来たレイヤーが混在しているインドだからこそなのかもしれないが、他の社会問題と同じように、後者の人口が前者より多い限りは大きな変化はないのだろうな、と思う。

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