聴こえてきた寝息 — ラマダンの平和な午後。

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とある平和な午後のオフィス。カタカタとタイピングをする音の狭間に聴こえて来たのは誰かのイビキ。イビキの主の方を確認すると、みんな顔を見合わせてクスクスと笑う。

6月19日から始まったラマダンの折り返し地点に差し掛かり、睡眠不足が続いているムスリムの同僚は完全にお昼寝状態。なんでもこの日は午前1時就寝の午前3時起床なのだとか。「今日は家族を空港に送らないといけなかったから・・・」と、目を覚まして目の前にマネージャーの姿を目にした彼はきまり悪そうに答えた。空港へ行く予定がなかったとしても、ラマダン中の一日の最初のお祈りは日の出の時間とされる午前4時半すぎ。彼の居眠りには同僚たちも寛大になる。

おまけに太陽が沈むまでの時間は断食。手作りランチの持参を始めた彼と同じチームの新妻同僚は「これ私が作ってみたの。食べてみて!」と言った直後に「あっ、ごめん。。今は断食中だったね」と謝っていた。それでもチーム思いの彼本人は、ランチの時間になると自分は食べられないのにチームメイトのオーダーを進んで取ってまわる。なんとも面倒見のいいやつだ。この前も、日本からの出張者が運んで来た日本のお菓子がいっぱい詰まった袋を覗き込んで「今は食べられないけど子どもたちに何か持って帰ってあげたい。これ貰っていい?」と、明治のチョコレートをお土産に持ち帰った。

新月から新月までの丸一ヶ月、睡眠不足と日中の断食が続くラマダン。宗教に関心の強くない日本人の目から見ると、「なぜそこまでして」と、どうしても思ってしまう。けれど彼らにとってはラマダンが辛いものではなく、むしろ断食を終えた日没以降にはごちそうが食べられるし、ラマダンが終わった後のイードはお正月のようなお祝いができるし、子どもたちはお年玉が貰えるしと、楽しい事もたくさんあるようだ。

ヒンドゥやキリスト教徒の同僚たちも、彼らは彼らでお祭りがあったり、教会のミサがあったりと、生活習慣に影響を及ぼす何かを抱えている。「今月のいついつは何々があるから私のシフトはこうして欲しい。代わりにこの週は夜番するから」というようなやり取りを、よくチーム内でゴソゴソと話し合っている。「宗教だからしょうがない」ではなく、ちゃんとそれぞれが均衡を保てるように気を使い合っているわけだ。宗教によるしがらみのない私はシフト表をよく間違えて作って送信するから、「かおりさん、来週は教会のミサがあるから早番にしてってお願いしたじゃない。もー。」と、彼らによく指摘される始末だ。

「無宗教だからって無頓着になってはいけないよな」と、今日も来週のシフトを間違えたマネージャーはぼんやり考えた。
そんな平和なラマダンの午後。

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