アートが足りない!

「インドには猫嫌いが多い」ということの次に、インドで暮らしていて許せないこと。
「アートが足りない」ということ。

今のインドは完全に「モノの時代」だ。きっと一昔前の日本もそうだったのだと思うけれど、かっこいいバイクを持っている事、家を持っている事、高級な宝石を持っている事がアッパークラスの人々の多くの関心ごとのように見える。

インドの学校には美術や音楽の授業は無い。その昔、アートセンス抜群で、現在日本に滞在しているインド人の友達が「ここの人たちはピカソのことだって知らないわよ」と言っていて、ビックリした事がある。お金にならないことは学ぶな、とでも言っているかのように、大学の専攻も口が達者な人はマーケティングへ、そうでない人はファイナンスへ、というのがマジョリティだ。(言語の専攻もあるけれど、インド人はそもそも語学習得能力がめちゃくちゃ高いので、専攻は別にあって、遊び感覚で言語を学んでいるように見える)。インドにいるのはアーティストよりも職人。彼らの多くは、中流以下のレイヤーに属する人々だ。

芸術は無くても人は生きて行ける。では、インドの教育水準が底上げされて、中流以上の人がもっと増えれば、この「なくてもいいけどあった方がいい」という分野にもフォーカスする人が増えるんだろうか、と考えた。

しかし、ここで日本を振り返ってみると、日本は貧乏であった時代から人々のアートへの関心はあったように思う。いい例えが思いつかないが、たとえば着物の柄や、日本家屋の建築様式なんかに、そういうセンスの高さがもともと表れていたのではないだろうか。

教育、経済水準の高い低いが問題でないとするのであれば、あと思いつくのは季節だ。日本に四季がなかったら、あんなに繊細な模様が生まれる事はなかっただろう。あんなに素晴らしい日本家屋も存在しなかったはずだ。対して、インドには雨期と乾季しかない。インド人は雨期にロマンスを感じるらしいが、春や秋を肌で知っている日本人からすると、この感覚はどうも理解できない。

今朝、目を覚まして時間を確かめるために携帯をみたら、上に述べたインド人の友達から、AsgeirのGoing Homeという曲が素晴らしいから聴いてみて、と、メッセージが届いていた。横になったまま、Youtubeから流れるその曲を聴いて、こういう曲は冬のある国の人にしか作れないなぁ、とぼんやりと思った。

“Going home” 
人が創り出したアートなんかなくても、その中にいるだけで美しいと感じられる日本の春が恋しい。

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