以前も、「インド人と仕事をする、とは」という似たようなトピックでブログを書いたけれど、最近改めてインド人と働く事の難しさを感じている。
私のチームは日本にいる日本人のお客さんを担当するカスタマーサービス部門で、現在、インド人6人、自分を含めて日本人9人の15人で構成されている。私のボスは30代前半のインド人男性。
先週から今週にかけて、4月から9月までの前期のパフォーマンスレビューを行っている。定められたチームの目標と個人の目標が、9月が終わった時点でどのくらい達成されたかについて、チームメンバーひとりひとりと、一時間ほどかけてレビューミーティングを行う。
簡単にいうと採点は5段階評価で、まずプレイヤーは自己採点を行う。ここでインド人のほとんどは、自分のパフォーマンスに対して4か5をマークする。悪くても評価は3だ。(日本人は良くても3か4で採点する。)本当にそれだけの結果を出しているのであれば問題ないのだが、マネージャーからみて評価が2でも、個人採点は5であるケースがあったりする。
これはだいたい、Expectation Setting(期待値設定)のズレによって生じるもの。マネージャーが期待している成果と、プレイヤーが自分でやるべきだと思っていることの認識が合っていないということだ。
具体的に言うと、「10という売り上げをあげる」というのがマネージャーの期待する成果だとすると、プレイヤーは「10という売り上げをあげるために取った行動」が自分の成果だと認識しているというようなものだ。10に達してなくても、普段と違う行動を取ったからそれが自分の成果だと信じているケース。
マネージャーとプレイヤー、双方の認識のズレを防ぐために、いつも目標は測れるようなものを設定しないといけない。悪く言ってしまえば彼らは自分に甘いので、第三者から見て明らかに、「達成した」「達成してない」ということが分かる目標設定をしなければいけない。そうでないと、レビューの際に、「達成していない」とマネージャーが判断した理由を理解してもらうことがとても難しい。
その他、彼らは「やりなさいと言われた事しかやらない」、ということが少なからずある。これはインドの細分化されたレイヤー社会での生活が原因なのではないかと思っている。教科書で日本人が教わるカースト制度は階級のレイヤーだが、実際はもっと複雑で、宗教、経済など、いろいろなレイヤーが存在し、それぞれに決まったルールや役割が存在する。そういう風に普段から自分の責任範囲をとても明確に分ける傾向があるため、チームで働いていても、「これは誰々さんの仕事だからやらない」というようなことがある。自分にもできるのだけれど、やらないのだ。
チームとして成果を出すために、それぞれの小さなプロジェクトに責任者を作るが、そうすると、責任者以外の人にとって、チームの成果は自分の成果ではなくなる。どうもそういう風に考えている傾向があるように見える。
もちろん、期待された以上のことをやるインド人もたくさんいる。しかし、どの国でも言える事だと思うが、そういう人はとっくに組織でマネージャーやそれ以上のポジションについている。そして彼らは本当に頭が良い。同じ中間管理職にも、私の頭ではまったく敵わないような人がたくさんいる。けれども、自分の仕事と責任を最小限に留めている人は、プレイヤー以上のポジションに行く事はできない。
インド人の「自分に甘い」という特徴は、「他人にも甘い=他人のミスにも寛容」というプラスの特徴にも繋がるが、ビジネスの現場ではそれを許していると、期待している成果を出す事はできない。期待値設定にズレを生じさせない事、責任の幅を最小限に留めずに、ひとつのチームとして成果を出すと言う事は、日本人で構成されたチームをマネージメントするより遥かに難しい。
お酒を飲まずにはいられない週末はまだまだ続きそうだ。