ムンバイにやって来た当初は「ムンバイでの暮らしはどう?」と聞かれることが多かった。けれど、3年経った今は「あとどれくらいムンバイにいるの?」と聞かれる事が増えた。
答えはいつも「わからない」だ。本当にわからない。
昨年の終わりから今年の始めまで、ここでの生活の何もかもが嫌になって、本気で日本に帰る事を考えた。移住して来てはじめて限界を感じた時期だった。でも別に日本へ帰ってやりたいことがあったわけでも、他の国へ行ってやりたいことがあったわけでもなく、今思えば、あれは完全に「逃げ」の気持ちから思い立ったことだった。3月が終わったら退職届を出して帰ってやると決めつけて、その場しのぎの毎日を送っていた。
でもどういうわけか、今は毎日とっ散らかりながらも、当時は全く予測していなかった良い状況にある。有り難い事に、会社のチームも私の適当さに慣れて来てくれたし、仕事以外の付き合いがある人たちも、私の気まぐれさを受け入れてくれている。そういう風に付き合える人たちを、或る時から何かが自分に運んで来てくれた。あるいは、ある程度の時がたったことで、それまで自分の周りにいた人たちとの関係を、良い方向へ変化させる事ができたとも言えるかもしれない。
新しく出会った人たちとの関係も、それまでいっしょに居た人たちとの間におこった変化もあるけれど、つまり「どこに住むか」ではなくて「どういう人が自分のまわりにいるか」ということこそが、私にとってその場所で暮らして行きたいかどうかの判断基準だった。
世界一周をする前は、それこそ今よく言われているノマドのような生活をしてみたいと思っていた。違う土地で会った人たちとの単発的な人間関係だけでも、それが心地いい、楽だと思っていた。けれども一年間いろいろな土地でいろいろな人に会って気づいたのは、場所はどこであれ、親しい人たちに囲まれて暮らしている人が一番幸せそうだな、ということだった。あまりにも単純な、あまりにも平凡な結論だったけれど、それが自分の中での結論だった。そしてそういう人間関係は、その土地に長く居なければ得る事はきっとできない。
ムンバイの生活環境は日本に比べて悪い。でも、今の自分の周りには、尊敬できる人がたくさんいる。それらもきっと、ある程度時がたったからこそ得ることができたものだと思う。まだ出会って間もない人たちの頑張っている姿をみて、励まされる瞬間もたくさんある。そういう人たちに囲まれていると、将来どうしていくのかという現実的な挑戦を目の前にして、不安や恐怖に負けないようにするためのエネルギーを与えられる。
9ヶ月前のスランプは本当にきつかったけれど、今はそういう時期があったとしても、その先に良いことが起こり得るということも知った。そういう良い時期を迎えるためにも逃げる事だけは、その場所を離れる動機にしてはいけないということを学んだ。
だから少なくとも、自分がこの場所でやりきったと思える時が来るまでは、どこか別の土地へ行く事はないと思う。そう思える時が来るまでに、あと何年かかるかわからない。だから、「あとどれくらい?」と聞かれても「わからない」としか答えられない。
しかし、やりきったと思える日なんか本当に来るんだろうか。
世界一周を終えた時は、100%自分がやったことに満足していたけれど、ムンバイでの生活はもっとずっとタフだ。
一生なんてあっという間にすぎてしまうかもしれない・・・。