海外ではクレイジーになれ。

ムンバイで生活し始めて、2年6ヶ月。まだまだ、この街の何かが分かったというには短い期間だが、ひとつだけはっきりと分かった事がある。ここで生き抜くには変人にならなければならない。特に、日本のような国で育った私たちは、変人と言われるくらいにならないと、この街に行きている人たちの平均にも届かない。インド人とだけ比べているわけではない。この街に住む外国人も、やっぱり変な人たちばっかりだ。

これまで、日本でも海外でも「私はグローバルスタンダードだ」と自信を持って宣う日本人を見てきた。そして、その当時の私の目から見て、彼らの誰もがぜんぜん「スタンダード」になんかには見えなかった。どこかぶっ飛んでしまっているな、という印象だった。それでも、この国でしばらく暮らしてみて今ははっきりとわかる。なぜ、彼らが自分を「スタンダードだ」と言ったのか。今の私の目から見て、彼らはごくごく普通の人間だ。なにも特別じゃない。彼らよりもっと強烈な人間はいくらでもいる。

私は、日本の人たちによく変わっていると言われるけれど、自分では自分のことをとてもつまらない人間だと思っている。ここにいる人たちはもっと人生の隅から隅までを楽しんでいて、悲しみももっと深いところで感じていて、それでもバカみたいに明るく暮らしている。他人にどう思われるかなんて、そんなことは二も三も次だ。「あいつはクレイジーだよ。頭がおかしい」と、誰かのことを言う事があったとしても、それは単に非難しているわけではなくて、その人なりのスタイルを認めているように聞こえる。だから、そういう発言が聞こえてきても嫌な気分にならないのだ。

クレイジーであればあるほど、面白い人たちが集まって来る。何も発信できない人間は魅力のない人間として置いて行かれる。芸のある人間が得になるようなシステムになっているのだ。会社でも同じ事だ。仕事がいくらできる人よりも、キャラクターが確立されている人間が魅力的だと思われるようにできている。そして「あの人となら仕事がしてみたい!」と、いつの間にか、その人のまわりには人が集まっている。

海外という右も左もわからない土地で暮らすのであれば、クレイジーであることはサバイブするための大事な要素だ。その国での人生を謳歌したいのであれば、他人と同じであっては決してならない。2年と半年目の教訓としては弱いかもしれないが、わかっただけでもまだ救いがある。この国に住む多くの人たちには見えていて、私にはまだ見えていないことが、まだまだたくさんあるということだ。

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