マレーシアの「インド人」

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インドへ移住してから初めて海外旅行へ出かけた。行き先はマレーシアである。移民国家であるマレーシアは、イスラム教徒であるマレー人が人口の多くを占めるが、同時にたくさんの中国、インドから移り住んできた人々が暮らしている。今回は、おじいさんたちの代に中国やインドから移り住んで、今はマレーシア国籍を持っている友人たちと会ってきた。自分がインドで暮らし始める前にも二度、マレーシアを訪れた事はあったが、日本だけではなく、インドという特殊な国で暮らした経験が、以前とは違った視点で、マレーシアという国を見せてくれた。

一番面白かったのは、おじいさん、おばあさんの代にインド南部からクアラルンプールへ移住して来て、孫(私と同じ世代)にあたる本人はマレーシア国籍を持つ青年の話だ。彼は一度もインドを訪れた事がない。インドの第二公用語のヒンディ語も話す事はできず、英語と広東語をしゃべる。英語はマレーシア人のなまりが強く、語尾にはインド人が使う 「〜na」(日本語で言う「〜でしょう?」の意味で、疑問系や強調の際に使用される)ではなく「〜la」を多用する。彼が肌で知っているインドは、マレーシア国内で行われるヒンドゥ教の催し事だけである。彼のお父さんは、お寺巡りのため定期的にインドとネパールを訪れている。そのため、彼も宗教的な催しにおけるノウハウを父親から教わっているようだったが、それ以外にはインドは知識の上でしか知らない。ちょうど1月17日にヒンドゥのThaipusamというお祭りがあり、観光地としても有名なBatu caveを訪れた。朝5時くらいにはたくさんのヒンドゥ教徒がお参りをしに集まっていた。ともかくひどい人ごみで、みんな数百段ある階段の上にある洞窟を目指して進んで行く。その様子はムンバイのラッシュ時の駅のようだった。しかしインドではこういう人ごみは決して珍しくない。私がこういうと、彼は「こんな光景が日常だって言うんじゃ、僕はとてもじゃないけどインドには住めない」と言った。マレーシアの十分整っている高速道路を、「道が悪い」と言っていた。私が日本人であるがゆえ、日本と比較した上で出た言葉なのかもしれないが、歩道にも堂々と穴が空いているようなムンバイの道路を、彼は一体どう思うのだろうか。

写真左は洞窟への階段。人で埋め尽くされている。

しかし、中華系マレーシア人の友人も同じようなことを言っていた。曰く、「北京へ行った時、同じ言葉をしゃべる人間がマレーシア以外にいることを不思議に感じたし親近感も持ったけれど、やっぱり中国人と自分はぜんぜん違うと思った」とのこと。移民から三代目にもなると、いくら祖父母の祖国であるとはいえ、彼ら自身にとっては外国という印象がどうしても勝るのかもしれない。日本人にも日系ブラジル人という同じような歴史背景を持つコミュニティがあるが、たしかに数年前にチリで会った日系ブラジル人にとっても日本は外国であり、地球の裏側の何か自分に関わりはあるけれど、やはり遠い国という印象であるようだった。

ところで「マレーシア人」である彼らは自分たちの国民性を、反政府運動が生じたという仮定のもとで説明してくれた。「マレーシア人は暴動を起こしてもせいぜい一時間しかもたない。僕らはすぐお腹をすかせて、ともかく一日中食べていたい国民だから、一時間も経てば、敵も味方も関係なく、みんないっしょに屋台でゴハンを食べているよ」などと言って笑う。「インド人もガンジーが説いたように非暴力の国民だろう?せいぜい断食をして抗議するくらいだ。ここらへんはマレーシアとも共通点があるかもしれないね」。日本人も大人しい国民だ。暴動というよりはせいぜいデモを行うくらいだ。しかし、ウクライナ人はEU加盟手続きを停止した政府に抗議するため、血を流している。反政府運動に国民性を見る、という分析方法は正しいのかもしれない。

今回マレーシアを訪れた事で、グローバル化とは一体どういうことなのか、また、インドが発展途上にあるアジアの国々の中でも特殊な国である事を実感した。いつか、インド系マレーシア人の彼にはインドを訪れて貰って、ぜひ感想を聞かせていただきたいところだ。

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