インド中毒。

土曜日の夜、ムンバイでShiroという日本名がついているクラブへ向かうタクシーの中で、同僚の韓国人とインドでの生活満足度について話した。前提として彼女はかなりの頻度でインドについてネガティブなコメントを発する。例えば、彼女は髪の色をショッキングピンクに染めていているため、インド人が彼女をものめずらしげに見る事や(これはインドでなくてもあるんじゃないかと思うが)、まつげのエクステンションをするためのお店の予約がうまくとれないことや、タクシーの予約は英語でできても、ドライバーは英語をしゃべれないことや、まあ、ともかく日常的に不満が彼女の口から湧いて来る。ビザの延長手続きのため、韓国へ一時帰国した彼女は、現地の友人たちに「なぜキャリアを望めない仕事を続けるのか。これだけ不満があるのに、どうしてインドへ戻るのか。インド行きの飛行機のチケットなんかここで破り捨ててしまえ」と、インドへ戻る事について激しい反対を受けた。結局、彼女はビザを延長して、今もムンバイで暮らしている訳だが、やはり不満は絶えない。そこで私は聞いてみた。「韓国の友達がインドをけなすような発言をした時、どう感じた?」と。すると彼女は一瞬黙り込んでから言った。「すごく嫌な気分だった。そんなに悪くないってことを分かってもらうために説得しようとした」と。彼女は自分の矛盾点に気づいてニヤッと笑った。「嫌いなところはたくさんあげられるのに、好きなところはほとんどあげられない。それでも事実として私は会社の雇用契約を延長してまだここにいて、ある意味ではここでの生活に居心地の良さを感じてる。一体どうしてなのか、自分でもわからない」

一方、私は周りの人間にはインド好きということで通っているが、当然すべてが好ましいと思っているわけではない。中でもオフィスの外で新たに人間関係を構築するのは非常に困難だと感じている。インドは宗教や経済力の違いによりグループが寸断されているため、個々の友人関係の幅があまり広くない。(その代わり、親族間の幅は非常に広く、絆も非常に強い)少なくとも、私のまわりの友人たちは、ほとんど同じ面子で毎週末を過ごしているように見える。外国人である私が、自分のインド人の友人を、別のインド人に紹介して、そこから彼らの交友関係が始まるということさえ何度もあった。私はどちらかと言うと広い交友関係を好むため、正直毎週同じ顔で集まると退屈してしまう。しかし、だからといって外国人を中心とするビジネスイベントなどに行って、新しい人々と知り合っても、なかなかそこから長い付き合いを構築することはできない。これは、インドであるからなのか、それとも海外に外国人として滞在しているからこその現象なのか、今のところはっきり分からないが、どうもインドならではのものなのではないかと思っている。そして理由は未だに不明である。それでも、多少のリスクはあっても、まったく見ず知らずのコミュニティから人となりを探りながら交友関係を広げて行く以外に、今のところ方法は見つかっていない。安全性だけを求めていると、狭い交友関係でスタックしてしまい、私のような人間はこれはこれでストレスを感じてしまう。

このように、インド嫌いであろうと、インド好きであろうと、何かしらの困難は感じていて、明白な事実として日本や韓国のようにオーガナイズされていないという点ではストレスの種となる出来事は多い。それでも、よくわからない何かに魅かれて長く滞在してしまう。これは長期滞在者に関わらず、インド旅行者の間でもよく言われる事だが、もう二度と来るか!という経験をしても、帰国してしばらくすると、自分の国には無い混沌とした何かが恋しくなって舞い戻ってきてしまう。私たちはこれをドラッグのようなものだね、と結論づけた。 自分の国には無い困難なものからは逃れられないと分かっていても、なぜか手を離すわけには行かない。「なんだかんだ言っても、ムンバイが今では私にとって唯一ホームだと感じられる街なんだよね」信じられないかもしれないが、これがわたしたち二人が共通して持っているムンバイに対する感情だったりするわけで、きっとインドならではの中毒症状なのだろう。

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